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|-|-|-|2014/07/26 Sat.|
大瀧詠一逝去
CD「大瀧詠一作品集 1980-1985」 2013年12月30日、解離性動脈りゅうのため逝去。65歳。
昭和40年代に細野晴臣さんらとバンド「はっぴいえんど」を結成し、日本のロックミュージックの先駆けとして大きな影響を与えました。
昭和48年の解散後も、山下達郎さんや大貫妙子さんが所属していたバンド「シュガーベイブ」をプロデュースして話題を集めました。
また、昭和56年に発表した大滝さんのアルバム「A LONG VACATION」や「EACH TIME」などは、洗練されたメロディーが当時の若者文化や風俗を象徴する大ヒットとなりました。
大滝さんは、ほかにも松田聖子さんの「風立ちぬ」や、小林旭さんの「熱き心に」、それに森進一さんの「冬のリヴィエラ」などの作曲で知られたほか、CMソングを多数手がけたり、平成9年には13年ぶりのオリジナル曲、「幸せな結末」を発表するなど活躍を続けました。[NHK,2013/12/31/1707]
たとえば多羅尾伴内の名で編曲を手掛けるのはなぜなのかなど疑問もたくさんあるのだけれど、その存在が大きすぎてとても捉えきれない。でも、あの時代のしあわせな感覚のある部分はたしかに大滝詠一に由来していました。ふと気がつくと脳の片隅で
A面で恋をして ウィンクのマシンガンで
ぼくの胸 打ちぬいてよ
A面で微笑んで ドーナツ盤の上で
クルクルと踊るよ ジルバ…
(歌:ナイアガラトライアングル,詞:松本隆,曲:大滝詠一「A面で恋をして」,1981)
夢でもし逢えたら 素敵なことね
あなたに逢えるまで 眠り続けたい…
(歌:吉田美奈子,詞/曲:大滝詠一「夢で逢えたら」,1976)
と今も流れているのです。 好きなものはっきりと示せる力があって、ユーモアのセンスが抜群で、声を張りあげるようなカッコわるいことは決してしないけれど、その声を届けるべきひとのところにきちんと届けるそんなミュージシャンに対して謹んで哀悼の意を表します。
|悼む|comments(0)|trackbacks(0)|2013/12/31 Tue.|
やなせたかし逝去
『やなせたかしのメルヘン絵本』 2013年10月13日、心不全のため逝去。94歳。
東京高等工芸学校図案科(現千葉大)卒。終戦後、高知新聞記者を務めた後上京、三越宣伝部デザイナーを経て34歳で漫画家として独立した。
多彩な才能を生かして放送作家、童話、詩でも活躍。1961年に作曲家いずみたくと組んで童謡「手のひらを太陽に」を作詞、73年には雑誌「詩とメルヘン」を創刊し編集長を30年務めた。
73年には「アンパンマン」の最初の漫画絵本を刊行。丸いアンパンでできた自分の顔を困った人に食べさせる異色のヒーローは、子どもたちに愛されて浸透し、代表作に。88年からのテレビアニメ「それいけ! アンパンマン」の放送で爆発的な人気となった。絵本シリーズは約350作累計6800万部、劇場版映画も今年7月の公開作で25作に達した。
90年に日本漫画家協会大賞、95年、同協会文部大臣賞を受賞。2000年から同協会理事長、12年から同協会会長を務めていた。[読売新聞,2013/10/16/0938]
ものごころついた頃からいろんなところに、やなせたかしがいました。おけらやあめんぼが登場するヘンな歌「手のひらに太陽を」の作詞をしていたひらがなばかりのふしぎな名前のひとは、おぼろげに覚えているのだけど、『まんが学校』(NHK,1964-1967)で漫画指導をしていた先生であり、美術監督を務めた手塚治虫作品『千夜一夜物語』(1969)は異色の大人向け長篇アニメーションであったかと思えば、大判の美しい雑誌〈詩とメルヘン〉(1973-2003)の編集長を永年務めていたのです。読んでいました。好きでした。「アンパンマン」は絵本もアニメーションもほとんど接していないけれど、かの国民的ヒーローが食べられる存在だということはちゃんと知っています。風に吹かれたような手書きの文字もなんとも味があり好きでした。そんな愛すべきマルチタレントに対して謹んで哀悼の意を表します。
|悼む|comments(0)|trackbacks(0)|2013/10/16 Wed.|
殊能将之逝去
殊能将之『黒い仏』 2013年2月11日、逝去。49歳。
1999年、「ハサミ男」でメフィスト賞を受賞し、デビューした。覆面作家として、個人情報を明かさずに活動。鋭利で知的な文章と博識が評価され、代表作に、「美濃牛」「鏡の中は日曜日」「子どもの王様」がある。[読売新聞,2013/03/30/1433]
エイプリルフールに殊能将之の訃報を知るなんてきつ過ぎる。直接の面識はなかったが、友人の友人としてよく知っていた。彼の文章を読みたくて、もちろんそのほかにもお目当ての執筆陣がたくさんいたので、定期購読していたSFファンジンがあったくらいのものです。大学を中退して上京し編集プロダクションに入り、その後、体調を崩して帰郷したときいてからどれくらいたった頃だろう。まったくノーマークで読んだミステリ『ハサミ男』(1999)にぶっとびつつも、この殊能将之なる新人が散りばめるネタに感じる親近感はなんだろうといぶかしんでいたらなんとあの友人の友人だったという。それからずっと2004年までコンスタントに出ていた長篇『美濃牛』『黒い仏』『鏡の中は日曜日』『子どもの王様』『キマイラの新しい城』を追いかけてきた。なかでも『黒い仏』(2001)はとんでもなくトリッキーな大技がぶんまわされてミステリファンからの評判が悪かったのもむべなるかなの傑作。大好きでした。もちろん海外SFへの造詣も深く、唯一の編著であるアヴラム・デイヴィッドスン『どんがらがん』(2005)も殊能将之でなければきっと編めない愉しさに満ちていた。閉鎖してしまったサイトmercy snow official homepageに綴られた夢や食べたものの話もほんとおもしろかった。その愛すべき編愛ぶりを発揮した友に対して謹んで哀悼の意を表します。
|悼む|comments(2)|trackbacks(0)|2013/04/01 Mon.|
ボリス・ストルガツキイ逝去
アルカジイ&ボリス・ストルガツキー『ストーカー』 2012年11月19日、心臓病のため逝去。79歳。
兄のアルカージーさん(1991年没)とともに「月曜日は土曜日に始まる」「神様はつらい」などのSF作品を執筆。70年代の作品「路傍のピクニック」はアンドレイ・タルコフスキー監督の映画「ストーカー」の原作となった。[朝日新聞,2012/11/21]
天文学が専門だったボリス・ストルガツキイ氏は、日本文学研究者で翻訳家だった兄のアルカジイ氏と共に作品を書いた。
二人はストルガツキイ兄弟として人気SF小説家となり、二人の「神さまはつらい」「路傍のピクニック(ストーカー)」「収容所惑星」「月曜日は土曜日に始まる」などといった作品は多くの外国語に訳され、映画化されたものもある。また「そろそろ登れカタツムリ」あるいは「醜い白鳥」「トロイカ物語」といった長編小説は、独特のベールに包まれた婉曲な方法でソビエト社会の全体主義的現実を表現したため、最初はまず国外でのみ出版され、ソ連国内においては地下で非合法出版されたものを人々は手に入れて読んだ。[The Voice of Russia,2012/11/20]
タルコフスキーによる映画化(1979/日本公開1981,未見)を機に〈ハヤカワSF文庫〉から刊行された『ストーカー』(深見弾訳,1983)が、その名を意識してはじめて読んだストルガツキ兄弟でした。どうしてもソビエト・ロシアの作家として意識し構えてしまうのだけれど、読んでみたら不条理とサスペンスと奇妙なおかしさがグイグイ迫る魅力的なSFだった。あわててスルーしていた〈海外SFノヴェルズ〉版の『収容所惑星』(同訳,1978)『蟻塚の中のかぶと虫』(同訳,1982)を遡って追いかけ、その後、群像社が『世界終末十億年前』(同訳,1989)を皮切りに続々と刊行したた一連のストルガツキイ本もすべて購入(したつもりだったが、作品リストをみると入手していないものもけっこうありました。群像社の本は見逃してしまうことが多くて…)、楽しんできた、もっとも親しんできたロシア語圏の作家でした。SFのなんでもありの姿勢が反体制と見なされ発禁処分も受けるほど、SFらしいSFを書き続けた作家たちに対して謹んで哀悼の意を表します。
|悼む|comments(0)|trackbacks(1)|2012/11/21 Wed.|
ハリイ・ハリスン逝去
大西洋横断トンネル、万歳!
2012年8月15日、逝去。87歳。
六〇年以降の長篇が十冊以上も訳されている作家なんて、あと調べてみると二人しかいない。キース・ローマーとシルヴァーバーグである[水鏡子「ハリスン・ノート」,1979]
と33年前に評価されていたハリイ・ハリスンの訃報をTwitterで知る。そもそもが水鏡子史観のもとにSFを読んできたからだけれど、そのまま中堅という印象をもって今に至っている。Twitterでは、代表作として『宇宙兵ブルース』(1965)を挙げる呟きが目につくが同感。元ネタを書いたハインラインには申しわけないが、あとから読んだ『宇宙の戦士』(1959)が色褪せたものです。〈ステンレス・スチール・ラット〉(1961-)シリーズも何冊目まで読んだかわからなくなっているけれどおもしろかった記憶。一番好きだったのは、改変世界でのヴィクトリア朝の描写がたのしい鉄道土木冒険SF『大西洋横断トンネル、万歳!』(1972)でした。中身がしっかり詰まって長すぎず重すぎないサイズの作品を届けてくれたSF作家に対して謹んで哀悼の意を表します。
|悼む|comments(0)|trackbacks(1)|2012/08/16 Thu.|
レイ・ブラッドベリ逝去
小笠原豊樹訳『火星年代記』2012年6月5日、逝去。92歳。
高校を卒業後、新聞売りをしながら各種雑誌に作品を投稿。1947、48年とO・ヘンリー賞を受賞し、短編の名手の名声を獲得した。
地球人の火星探検、植民記「火星年代記」(50年)では想像力と文章家としての力を見せた。短編集「10月はたそがれの国」(55年)、「たんぽぽのお酒」(57年)など、現代と未来、現実と空想の間を自在に行き来する詩的な幻想性に満ちた小説で読者を魅了した。 [朝日新聞,2012/06/07/0104]
ディック、バラード、ブラッドベリは読んでいないと公言していましたが、まったく読んでいないというわけではありません。いくつかの作品を読んだところで、すばらしいがゆえに読むのが惜しくなったというか、名作と評価が定まっているのだから後回しにしようと考えたまま今に至ったというか。多くを読んではいないなかでも、『火星年代記』の未来史を短篇連作で描くというスタイルには魅了されました。また、萩尾望都が漫画化した傑作選『ウは宇宙船のウ』の流麗な筆致も沁みました。SF界の叙情詩人とよばれた巨匠に対して謹んで哀悼の意を表します。
|悼む|comments(0)|trackbacks(0)|2012/06/07 Thu.|
尾崎紀世彦逝去
尾崎紀世彦『ザ・プレミアム・ベスト』2012年5月31日、がんのため逝去。69歳。
コーラスグループで活動したあとソロデビューし、昭和46年に「また逢う日まで」が100万枚のミリオンセラーとなりました。阿久悠さんが作詞、筒美京平さんが作曲したこの歌は、日本レコード大賞と日本歌謡大賞を受賞し、NHK紅白歌合戦には3回出場しています。豊かなもみあげがトレードマークで、その後も力強く歌い上げる高い歌唱力で歌番組などで活躍しました。[NHK,2012/06/01/1642]
尾崎紀世彦/阿久悠/筒美京平による『また逢う日まで』は、別れの情景を朗々と歌いあげた傑作。日本が誇る歌謡曲というなんでもありの音楽ジャンルで、ひとつの頂点を究めた歌手に対して謹んで哀悼の意を表します。
無名時代に「ウルトラセブン」の主題歌にも参加しており、冒頭の「セブン、セブン、セブン、セブン」の3番目の「セブン」は尾崎さんの声によるものだ。 [RBB TODAY,2012/06/01/1754]
そうだったのですか。今回の訃報に接してはじめて知ったのだけれど、一段と感慨深いものがあります。
|悼む|comments(0)|-|2012/06/01 Fri.|
小林すすむ逝去
漫才ゴールデンエイジ22012年5月16日、胃がんと肝硬変のため逝去。58歳。
漫才ブームが巻き起こった80年代に、島崎俊郎さん、川上泰生さんと結成したお笑いトリオ「ヒップアップ」が人気を集め、「オレたちひょうきん族」など数多くのお笑い番組で活躍した。90年代からは、俳優として「踊る大捜査線」や「花より男子」といった人気シリーズに出演した。[共同通信,2012/05/17/1114]
ヒップアップは、漫才に青春というそれまでにはなかった要素を持込み、さらに小林すすむのナレーションという第三者の視点を導入して異化することで、新しい笑いををもたらした。また、島崎俊郎と川上泰生のテンションの高いコントをやんやと盛りあげる小林すすむのギターは欠かせなかった。そんなヒップアップ第三の男は、『オレたちひょうきん族』(1981-89)の時代を駆け抜けたあと俳優に転じる。なかでも、『踊る大捜査線』シリーズ(1997-)で、暴走する深津絵里を「恩田クン恩田クン」と諌める中西係長の姿が印象に残る。目立ちはしないが、演じている姿をみるときちんとそこにはまっていた演者に対して謹んで哀悼の意を表します。
|悼む|comments(0)|trackbacks(0)|2012/05/17 Thu.|
石黒昇逝去
『宇宙戦艦ヤマト』DVDメモリアルボックス2012年3月20日、逝去。73歳。
「宇宙戦艦ヤマト」の演出を手掛け、「超時空要塞マクロス」「メガゾーン23」「銀河英雄伝説」などの制作に参加した。[時事通信,2012/03/22/1111]
日本アニメーション史に残る作品を手掛け、アニメーションスタジオ・アートランドの創業者/取締役会長として後進を育成し、なかでも『マクロス』をほとんどがアマチュアというメンバーを使って作り上げて新風を吹きこんだ、アニメーション監督に対して謹んで哀悼の意を表します。
|悼む|comments(0)|trackbacks(0)|2012/03/22 Thu.|
山口美江逝去
2012年3月7日、心不全のため逝去。51歳。
上智大外国語学部卒業後、外資系企業でマーケティングや社長秘書を務め、通訳を経てテレビ朝日系「CNNヘッドライン」でキャスターとしてデビュー。フジッコのCM「しば漬け食べたい」で大ブレーク。英語が堪能で「元祖バイリンギャル」と呼ばれた。バラエティーを中心に多数のテレビ番組に出演も、96年に芸能界から引退を宣言。[日刊スポーツ,2012/03/10/1715]
いかにも仕事ができる女性が思わず漏らす「しば漬け食べたい」の一言にしびれたのが1987年、あれからもう四半世紀たつにも関わらずあのCMの印象は今も強く残っている。バラエティ番組で、催眠術をかけられ生の大根を丸かじりさせられていたこともありました。テレビという虚構と現実のはざまで輝いていた才女に対して謹んで哀悼の意を表します。

 

|悼む|comments(0)|trackbacks(1)|2012/03/10 Sat.|
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